日语阅读:美味

夏目漱石の著书「文学论」に馒头(まんじゅう)の出てくるくだりがある。「馒头の真価は美味にあり。その化学的成分のごときは馒头を味わうものの问うを要せざるところなり」

 夏目漱石的著作《文学论》中,有一段关于包子的描写。“包子的真正价值在于美味。既然是要品尝包子味道的,诸如它的化学成分这样的东西,那就不要管它也”

 馒头に例えたのは俳句である。俳句を味わうのに成分论议(难解な解釈)は无用、うまければいいのだ、と。俳句のみならず、日常の敬语もその真価は「美味」、耳にした时の心地よさにあるのだろう

 被漱石比喻为包子的是俳句。意思是说,欣赏俳句时,没有必要对其成分进行讨论(即进行难懂的解释),只要感觉美好就足够了。不只是俳句,日用敬语的真正价值也在于“美味”,在于令听的人心情喜悦吧。

 文化审议会が「敬语の指针」を文相に答申した。尊敬语、谦譲语、丁宁语という现在の3分类を、尊敬语、谦譲语1、谦譲语2(丁重语)、丁宁语、美化语――の5分类に细かく分けることが柱という

 文化审议会向文部科学大臣提交了《敬语指南》答询报告。据说,其基本内容是:把尊敬语、谦逊语、郑重语

 ——现行的三类敬语,细分为五类敬语——尊敬语、谦逊语1、谦逊语2(丁重语)、郑重语和美化语.

 分类がどう変わろうとも、相手を敬う気持ち、相手に不快な思いをさせたくない心があれば、それでいい。文法にかなっていればさらにいい。正确な言叶遣いを求めて成分论议に知恵を绞った审议会の努力は努力として、そう思う

 无论分类如何改变,只要对对方怀抱敬意,拥有不让对方产生不愉快的诚心,都没有关系的。当然,如果合乎语法规范,那就更好。审议会要努力追求正确的遣词,为成分讨论绞尽脑汁,那就让它努力去吧——我如是想。

 あすはもう立春、久保田万太郎に风変わりな春の句があった。「仰山(ぎょうさん)に猫いやはるわ春灯(はるともし)」。语ったのは女学生か、年配の女性か。会话の言叶をそのまま咏んだものらしい

 明天就立春了,久保田万太郎写有奇特的咏春之句:“猫们成群闲悠悠呀/春夜灯火影昏昏”(句中有女性用语“呀”,那么,)说话的是女学生抑或是年老的女人?看样子万太郎是直接把谈话的内容写成诗歌的。

 当の猫が敬语に喜んだかどうかはともかくも、ぼんやりかすむ春の灯の下、道端の夜会に集う猫たちの静かな时间と、眺める人の优しいまなざしが伝わってくるのは「いやはるわ」の手柄だろう。美味なるかな。

 这些猫是否喜欢敬语,那就姑且不论了,但是,让我们感受到“在模糊蒙胧的春灯下,群猫聚集在路边夜会消受悠闲时光,女人们用慈柔的眼神注视着这一切”这种意境的,确是“猫们闲悠悠呀”这句敬语的功劳吧。此所谓“美味”也。